〜徒然毎日〜

思考の掃き溜め場が多い。メンタル関係中心です。

病んでいたときに好きだったもの

はじめに

 

おはこんばんちは。

つれづれです。

 

皆さんは病んでいる(いた)ときに、好きになるものはありますか?

 

つれづれは、人生の中で一番病んでいたときは、

いろいろなものにハマっていました。

 

これから5つ紹介するので、参考になれば嬉しいです。

 

 

 

辛い食べ物

 

つれづれは、元々辛い食べ物が好きでした。

 

味噌ラーメンと辛い味噌ラーメンがあったら、

辛い味噌ラーメンをとるくらい辛いのが好きです。

 

病んでいない時は「美味しい」と思えるのですが、

病んでいる時は「刺激で病んでいることを打ち消したい」に変わります。

 

なので、病んでいる時は、辛いものにさらに辛いものを加えることがありました。

 

食べている時は、舌が痛くてしょうがないですが、

つらいことが薄れていく気がしました。

 

今は、過度に辛い食べ物は食べなくなりました。

 

やっぱり、何事もほどほどがいいですね。

 

 

甘い食べ物

 

甘い食べ物も辛い食べ物とほぼ同じ理由です。

 

つれづれは甘い食べ物はあまり好まないのですが、

病むと舌がおかしくなるのか食べすぎることがありました。

 

食べた直後はいいのですが、しばらくすると頭がボーッとするので、

爆食はやめてます。

 

 

鬱っぽい音楽

 

神聖かまってちゃん、女王蜂、森田童子…など聞いていました。

 

今はあまり聴かなくなりましたが、たまに聴くと懐かしくなります。

 

病んでいる時は、元気な曲より暗い曲が心に染みました。

 

今でも暗い曲が好きですが、ビリー・アイリッシュの曲は3日で飽きました(笑)

 

多分、一番病んでいた時に聞いていたらハマっていたかもしれません。

 

 

ネット掲示板

 

病んでいた時は、寂しいという思いが強かった気がします。

 

色々な意見が書かれていることが多い、ネット掲示板にハマっていました。

 

今考えると、心の状態を悪化させていたと思います。

 

○歳は〇〇すべきだ、〇〇しなければいけないなどの決めつけ、

 

誹謗中傷や悪口などが掲示板全体の8割くらいだったと思います。(つれづれ調べ)

 

好きなカテゴリーだけを見たり、悪口があるところを回避したら、

病む頻度が減りました。

 

寂しいという気持ちはありますが、別のこと(学業・読書・運動など) で

発散している感じです。

 

 

携帯ゲーム類

 

病んでいる時は、ゲームの頻度が多かった気がします。

 

1日ゲームしていた時もあったのでやめたかったのですが、

元々ゲームが好きだったのでやめることが難しかったです。

 

色々考えているうちに、ある考えが浮かびました。

 

「ゲームはゲームでも、別の種類のゲームをやればいいのでは?」

 

そこで、思い切って1人でできるボードゲームを買いました。

 

携帯ゲームより中毒性が低いですが、頭を使うので楽しめています。

 

書く余裕があれば、別の記事で紹介したいと思います。

 

 

 まとめ

 

  • 辛い食べ物と甘い食べ物は、刺激で病んでいることを打ち消したくて食べていた
  • 病んでいると鬱っぽい音楽が心に染みた
  • ネット掲示板と携帯ゲーム機は発想を変えて、別のことに打ち込んだ

 

以上、病んでいた時に好きだったものでした。

つれづれでした。

 

絵を描けないのは自分が怖いから

おはこんばんちは。

つれづれです。

 

 

皆さんは、どのようにお過ごしでしょうか。

 

つれづれは、学校やバイトに行くことができないので、

学校の課題以外の作品を作ろうと考えています。

 

しかし、なかなか作品制作が進みません。

 

これはどうしたものかと思い、自分で理由を考えました。

 

いくつかつれづれに当てはまりそうな物を見つけたので、

自戒を込めて書きます。

 

 

自分が作った作品に対する評価が気になるから

 

この理由は、多分大学受験の影響があると思います。

 

当時のつれづれは、某美大に入ろうと思い、

毎日デッサンと油絵を描いていました。

 

ただ描けばいいということではないので、

講評の時間で、作品の欠けている部分や「もっとこうしたらいい」等の

アドバイスを受けたりしました。

 

最初は楽しく絵を描くことができたのですが、

月日が経つにつれ「某大学に受かる絵を描きたい」に変わっていきました。

 

そうなると、楽しかった絵が苦行にしか思えなくなり

絵に対するモチベーションを保つことができませんでした。

 

また、つれづれは疲れやすい人間なので、

絵を描いて帰宅した後は、屍のようになっていました。

 

多分「他人のために絵を描く」という意識が強過ぎて、

このような結果になったと思います。

 

大学に入ってからは、気力を取り戻して絵を再開しましたが、

今でも先生に評価されるのは怖いです。

 

なので、心を無にして提出物を送ったり、書かれた講評を見ています。

(ベストな解決法は模索中です)

 

 

作品を見られることが恥ずかしい

 

小さい時から、引っ込み思案で恥ずかしがり屋のつれづれは、

人に注目されることが苦手でした。

 

小学生のときの図工の時間に、絵を見られるのが

恥ずかしかった記憶があります。

 

絵は褒められることがあったので、下手ではないと思います。

 

ただ、「自分が描いた絵」が褒められているのに、

「自分自身」が褒められていると錯覚したのが悪かったと思います。

 

自他の境界線が曖昧なのと、

自分自身のことを理解しづらい性質だったので辛かったです。

 

このことを周りに言うと、「気にしすぎ」「自意識過剰」と

言われることがあります。

 

そんなこと言うなら、「気にしすぎ」と思わない解決法を

教えてほしかったな。

 

 

まとめ

 

この2つの理由から、つれづれは

自分自身の育成をしたほうがいい

という結論になりました。

 

いきなり自己肯定感を身につける!というのではなくて、

落書きレベルでもSNSに載せたり、自己発信しようと思いました。

 

完全に無くすことは難しいけど、ドキドキ感が和らげばいいなと思いました。

 

つれづれでした。

 

 

自傷行為はまだ続いていた

おはこんばんちは。つれづれです。

 

皆さんは「自傷行為」を聞いたら何を思い浮かべますか。

 

腕に刃を当てるリストカットが思い浮かぶと思います。

 

 

つれづれは、中学生から成人にかけて自傷行為をしていました。

 

腕を血が出るまで引っ掻いていたり、カッターの刃を腕に当てていました。

(ヘタレだったのでリスカはしなかった)

 

成人を過ぎてからは、自傷行為をすることがかなり減りました。

 

自傷するのがなくなってよかった〜」と考えていましたが、

心がモヤモヤしている部分が残っていました。

 

なぜ心がモヤモヤしていたのか?

 

 

それは「自責」をしていたからです。

 

細かく言うと、肉体的自傷行為はほぼなくなりましたが、

精神的自傷行為はずっと続けていました。

 

なので心の調子が良くない状態が続き、苦しかったです。

 

主な自責の内容は、

 

  • 発達障害に関するコメントを見て傷つく
  • 就活やインターンの情報を見て「まともにならなきゃ」と考える
  • それらを深夜にやってさらに悪化する

 

「これらのことはしたくないな」と思い、最近は意識的に遠ざけています。

 

どうしても見ないといけないときは、時間を決めて情報を得ています。

(朝と昼は見てOK 夕方5時以降は控えるなど)

 

それでも「やっぱ自責が止まらん」状態になったらネットから離れます。

 

絵を描いたり、アロマオイルの匂いを嗅いだり、音楽を聴いていることが多いです。

 

 

書いていて思ったのは、自責の原因はネットの情報だということに気づきました。

 

どうやら、学校・対人関係からネットの情報に変わったみたいです。

 

ネットの適切な情報を上手に選びたいつれづれでした。

 

ASD持ちが人との目線を合わせる方法

はじめに

 

おはこんばんちは。つれづれです。

 

今回は、ASD持ちがコミュニケーションに慣れる方法を書きます。

 

つれづれはコミュニケーションが苦手(特に非言語)であり、

苦労することが多くありました。

 

なので、これまでやってみたことを順番に紹介します。

 

 

 

 

 

 

 1. 喫茶店に行きまくる

 

皆さんは喫茶店に入ったら、始めに何をしますか。

 

始めは飲み物を頼む人が多いと思います。

 

その際には店員さんに「アイスコーヒーください」という必要があります。

 

昔のつれづれは、注文表を見ながら飲み物を頼んでいました。

 

ただ、友人や家族と出かけたときに注文している姿を見たときに、

店員さんの方を見ていることが多く、改善したいなと思いました。

 

そこで見につけた技が、

「アイスコーヒーください」の後にチラッと店員さんの顔を見ることです。

 

顔を見るのはムリ!という人は2を見ましょう。

 

 

2.   3秒に1回、鼻を見る

 

「目を見て話しましょう」って小学生の時によく聞く機会があったと思います。

 

これがASD持ちにとって難しい。

 

なぜなら、目を合わせるだけでもプチパニック状態になることが多いから。

(ここでいうプチパニック状態とは、パソコン本体がエラー表示になるイメージである)

 

なので、目の代わりに鼻を見ます

 

そうすることでコミュニケーションを取った感じになります。

 

鼻でも無理なら、口・あご付近を見たらいいです。

 

ASD持ちは顔を上げて相手を見ようと意識する時点で100点満点です。

 

まずは100点満点を目指しましょう。

できているか不安な人は3へどうぞ。

 

 

3. 知人に頼んで自分の行動を客観視する

 

つれづれが、ASDに気づいたきっかけの内の1つは、友人や心理カウンセラーの先生に

 

「話していると視線が合わないね」

 

と言われたことが一時的にありました。

 

「視線が合わないと何が良くないのか」と調べていくうちに、

自分の行為が恥ずかしくなりました。

 

視線が合わさないのは相手にとって失礼だということに気づきました。

 

「知人がいません!」という人は、動画サイトでASDに関する人を調べる手もあります。

 

特に、インタビューを受けている動画を探してみるのがおすすめです。

 

 

まとめ

 

人との目線を合わせる方法 

  1. 茶店に行きまくる
  2. 3秒に1回、鼻をみる
  3. 知人に頼んで自分の行動を客観視する

 

このやり方を実践した結果、少しずつですが視線を合わせることができました。

 

気になる方はぜひやってみてください。

 

つれづれでした。

 

ASD持ちが物事に取り組む方法(自己流)

はじめに

 

おはこんばんちは。つれづれです。

 

今回は私が独自にやっている物事に取り組む方法を書きます。

 

ちなみこの記事の「物事」とは、以下のことを示します。

宿題、大学の課題、掃除、趣味、知人や仕事の約束等…

 

 

 

 

 

1 やりたいことをメモ帳に書きだす

 

頭の中でやりたいことを考えると、そこから連想されて情報が多くなることが良くあった。

この状態が続くと、

 

やりたいことがたくさん出てくる

頭の中でぐるぐるする現象が起きる

どこから手をつけたらいいのかわからないため混乱する

結局やらない 

以下ループ

 

という流れになるため、課題が期限ギリギリ提出することが多かった。

 

そのため、とりあえず頭の中を表そうと思い、紙に書いてみた。

 

  • お風呂に入る
  • 絵を描く
  • フランス語の勉強をする

 

実際にやると頭の中がスッキリするような感覚がする。

やりたいことが明確にわかるので、見えない物体の輪郭をとらえた気分になった。

 

2 やりたいことの横に番号をつける

 

やりたいことをそのまま書いただけでは頭の中をそのまま写しただけなので、

やりたいことの横に番号をつける。

 

  • お風呂に入る →後から入るのがしんどいため、1番
  • 絵を描く →ベッドに入ってらくがきをしたいので、3番
  • フランス語の勉強をする →椅子に座って新しい文法を覚えたいので、2番

 

というように、やりたいことの理由を考えながら番号をつけていく。

もし、迷った場合は直感的に選ぶか、やってしんどくなさそうなものを優先する。

 

「番号をつけたのに全部できなかった…」という後悔はしなくていい。

 

1つできたり途中で中断したものでも、やらないよりマシだと思う。

 

発達障害持ちは、「できなかった」ことに注目しがちである。

 

なので、小さなことでも「できた」を受け入れることで自身につながるだろう。

 

 

3 番号順にやりたいことをやる

 

これはそのままの意味である。

 

やりたいことに番号をつけたら、やったもん勝ちである。

 

ここまできてやらなかったら、以下ループの流れになるのでとっととやりなはれ

 


 

まとめ

 

1 やりたいことをメモ帳に書きだす

2 やりたいことの横に番号をつける

3 番号順にやりたいことをやる

 

 

この方法で1年取り組んだ結果、大学の単位が例年より10単位多く取得することができました。(今までどれだけ取れていなかったんだ…)

 

やってみたいことを明確にして取り組んでいるので、自己肯定感が上がった気がします。

 

あくまでも自己流なため、まずはやってみて工夫しながら自分のものにしましょう〜

 

以上、つれづれでした。

 

 

 

Twitterをやらない理由

皆さんはTwitterを始めたことがあるだろうか。

毎日暇さえあれば見てます!という人もいれば、基本ROM専でたまに呟く人もいるかもしれない。

しかし、私は文章を書くときはTwitterに呟くことをしていない。ブログに書き溜めている。

またTwitterのアカウントもとっていないため、Twitterからの情報を得るときには、Twitterのホーム画面をブラウザに入れたものから情報を取り入れている。

なぜ、Twitterのアカウントを取らないのか。

理由を述べたい。

 

実は、Twitterに関しては2回アカウントを取得したことがある。1回目は2015年から2017年、2回目は2019年のときである。(両方アカウント削除済み)

アカウントを作ってポチポチツイートすることをしていたが、Twitterの長所でもあり短所でもある部分を見つけた。それは、

 

手軽につぶやけてしまう

 

ということである。

Twitterの画面を開けば、ツイート画面が出てくる。お腹すいたや悲しかったなど、感情的なツイートを発してしまう危険性がある。お腹すいた等の自分のことならまだしも、他者への攻撃に使ったり人を傷つけることに使ったらTwitterの長所が短所に変わってしまう。

また、手軽につぶやくことにより、書いた文に対して考えることをしなくなる。そうなると、文の責任感が薄れてしまう恐れがある。文の責任感が薄れると、注目を集めるために倫理的にスレスレのことをしたり、最悪犯罪者になる恐れがある。

これらの理由は、他のSNSyoutubeでも起きていることだが、撮影等の労力や文字数が多いためTwitterと比べると若干マシな気がする。

 

グレーゾーン

今年に入ってから発達検査を受けた。

 

端的に言うと、結果は発達グレーゾーンに当てはまることがわかった。

 

受け取った資料を確認すると、言語性IQや動作性IQのIQ20程度の差や、郡指数のIQの差はほとんどなかった。しかし、問題は下位検査である。

 

類似(同じ図を当てる検査)と数唱(言われた文字を復唱する検査)の差が6だった。

6の差は大きい方なので、発達障がいに当てはまるらしい。

 

もちろん検査だけでは確定できないため、幼少期の出来事を話すことも行った。

話すことでは、ASDの要素が幼少期と現在に当てはまることが多かったため、グレーゾーンと診断された。

 

 

そのことを聞いたとき、「生きづらさの根本的な原因は発達のせいなのか」と思った。

しょうがないじゃんと思えば楽だったと思うが、なかなか認めることができなかった。

普通に社会に適応していると考えていたし、わかりやすいつまずきが少なかったためである。

ただ、つまずきが少なかったのは親や周りの人たちが配慮してもらったことで「普通」になっていたのでは?と考えると私は「普通」ではないんだなという考えになった。

 

発達によるつまづきの詳細に関しては、書く余裕があれば書くつもりだ。

 

検査によって苦手な部分がわかったので、発達障がいに関連した本を読み漁りたい。

また、自分ができることをたくさん見つけたいなと感じた。