お風呂に入るのって面倒
お風呂に入るのが面倒だ。
理由としては、疲れているのと眠いのがあるからだ。またこの暑い時期に入っても、また汗をかくからさっぱりしても無駄だと感じるからだ。
なので、自分なりの対策を考えてみた。
①帰宅したらすぐに入る
1番やりやすいかもしれない。昨日や朝のうちにタオルを用意しとけば、すぐに入ることができる。ただ、疲れて一息つきたいときや、ご飯の臭いがつくかもって気にするひとは向かないかもしれない。
②夕食後に入る
これもパターン化しやすい。夕食後なので、臭いが気にならないし、汚れも落とせていいと思う。デメリットは、食事をとると眠くなるので眠気を我慢しないとかも。
③早朝に入る
朝に入るので、臭いが気になりにくいと思う。温水をかけると目が覚めやすいと聞いたことがあるので、スッキリしやすい。デメリットは、朝余裕がないときは難しいことだ。メイクすることを考えると時間がかかりやすい。
最終手段 汗拭きシートで拭く
どうしても面倒くさい、だるいというときにオススメ。うつ状態のときはやりやすいと思う。デメリットとして、髪の毛は洗えないこととシート代がかかることだ。
理想は①、現実は②・③がパターン化することが多い。最終手段に手を伸ばすこともあるが、髪の毛の臭いが気になるので、毎日全身洗って過ごしたい。
アイプチすること=自傷行為&なったきっかけ
アイプチというものをご存知だろうか。
瞼に塗ってくっつけて二重を作るものである。
アイプチを使っているときは、自傷行為をするときと似ているのでは?という話。
10代後半から、目の形にコンプレックスを抱えている。
たまに酷く落ちこんだ時と、人と会ったときは鏡を見て確認することがある。
10分かそこらだとまだマシなほうで、1時間超えるときもある。
そんなときに、アイプチを使って理想の二重にすると心が和らぐ。マイナスの感情から逃れるときに、体を使って変えるのは自傷行為と似ていると感じる。
発症したきっかけ
高校のときの先生に、容姿によって態度を変えられたことである。
その先生は学校用のブログを書いていたが、お気に入りの人と同じことをしても載せられるのはその人だけだった。唯一自分が載せられたのは、お土産を渡したときくらいである。
お気に入りの人は、可愛らしい雰囲気の人だったため、暗い雰囲気の自分はあまり好まれなかった。
その時からアイプチを知り、辛いときは自宅でアイプチをして心を癒していた。
なぜ目に執着するのか
目に執着するのは、小学生くらいのときに「目が怖い」と言われたことである。先程のお気に入りの人は目が大きい人だったため、目が大きかったらマシな扱いされるかなと思い、目に執着するようになった。
「整形したらいいんじゃない」というツッコミがきそうだが、整形してもキリがないと考えている。目の他にも、鼻、顔の大きさ、体の華奢さetcなど気になるものが増えるだけである。
結局は、自分の顔を受け入れることが大事なのかもしれない。顔のこだわりを捨て、別のところにこだわればwinwinだなと思う。
意識の向け方
大学の課題のために、絵を描くなどの作業をしていると心がすっきりする。
やることは単調なことだけど、いつのまにか時間が経っている。
メンタルがやられているときは、自分に意識が向いていたので治すのにも時間がかかったと思う。
意識を自分以外に向けることで、人間はやりくりしていることに気づいた。
ソクラテスが記していた言葉に「人間は幸せのために生きている」という言葉がある。幸せになるには行動する必要があると考えたときに、行動するってことは自分中心に考えすぎないことなのでは?ということに繋がった。
だから、意識を自分以外に向けることを意識しようと思う。そうすれば、生きやすくなるかもしれない。
失敗したことが受け入れられない
失敗すると心がザワザワする。
失敗する、怒られるというサイクルがついているのもある。
認知の歪みだと思っている。
人格は否定しないで、行いに対して注意しているのはわかる。だけど、人格否定が優先されてしまう。
過敏性腸症候群(IBS) ガス型
この病になったのは、小学生高学年の頃だった。
中学生以降になる人が多いと聞いたが、小学生でなった人はあまり聞かない気がする。
この症状で、人と関わるのが好きではなくなった。学校内のイベントも楽しめなくて、サボりたいなと考えていた。当時は、いじめられていたこともあり「サボる=負け」だと考えていたため、殆ど休まずに通学した。
親にも「休んだら負けだ」と言われたのと、小学校は集団登校だったため迷惑をかけてはいけないと考えていた。(もし集団登校でなければ休んでいたかもしれない)
あとは、給食が食べられなくて食べなかった時期があった。食べなければ、ガスが溜まらないと思ったからだ。給食のイベントでは、クラスごとにどれぐらい食べるかを競うことがあった。その時は、迷惑をかけたくないなと思ったので、頑張って食べていた。苦しいけど、迷惑かけるよりはマシだと思っていた。